2014年4月13日

映画「サン·オブ·ゴッド」と別のイエス


ニューエイジ信者として知られているRoma Downeyが投資し製作もしたイエスの生涯についての映画「サン·オブ·ゴッド」が去る10日、韓国でも公開した。北米地域では、すでに228日に公開されたこの映画について、多くのキリスト教の批評家は、「イエスの生涯のイルミナティ(ニューエイジ、グノーシス主義)バージョン」という評価を下している。 このような先入観を出来るだけ排除した状態で、今日この映画を鑑賞したのだが、映画全般に流れる「別のイエス」 (Ⅱコリント11:4 )に対する考えを振り切ることができなかった。


「ある人が来て、私たちの宣べ伝えなかった別のイエスを宣べ伝えたり、あるいはあなたがたが、前に受けたことのない異なった霊を受けたり、受け入れたことのない異なった福音を受けたりするときも、あなたがたはみごとにこらえているからです」 (Ⅱコリント11:4


1. 革命家イエス

ニューエイジの信奉者である製作者の考えが反映されたように、映画の中のイエスの姿は、人類を救うために来られた救い主というよりは、人々に悟りを与え、新しい世界( New World )を作ることができるように助ける偉大な師匠あるいは革命家として描写されている。

このようなイエスの姿は、映画の中で、イエスがペテロに初めて会ったときになされた会話の中の言葉「世の中を変えなくては( 」で明らかになっていて、最後の場面でも、パトモス島に閉じ込められた使徒ヨハネに、「平和な世界を作るために戻って来る 」という言葉の中で、もう一度確認できる。


映画の中ではまた、イエスが、従来の平和と秩序( Old World Order )を守ろうとする既得権益層(パリサイ人、律法学者)と摩擦を生じさせたと描かれているが、当時の宗教指導者たちであるパリサイ人や律法学者は、革命者イエスのために、エルサレムで暴動が発生し、これを口実にローマが介入して国家的な危機が降りかかるのを防ぐため、仕方なくイエスを処刑したと描写している。





しかし聖書では、初臨の主が革命家として世界を変えるために来られたのではなく、罪人を救うために来られたと明らかに証言している。 人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです」 (マタイ20:28)。再臨の主も、この地に平和な世界を作るために来られるのではなく、悔い改めを拒否した罪人とこの世を裁くために来られると言われている。

イエス様は、南米の革命家チェ·ゲバラに似た映画の中の主人公のように、人々を悟らせ、世の中を変える」ことに興味があったのではなく、失われた一匹の羊を捜して救うことに関心があった。

映画の中の革命家としてのイエスの姿は、贖いの意味を説明しなければならない過越の晩餐の席で、再び現われるようになる。過ぎ越しの晩餐の席で、イエスは弟子たちにパンとぶどう酒を分けてくださり、これが私達のために引き裂かれ血を流された贖いの苦難を象徴するという事実を明らかにした( Iコリント11:24,25 、ルカ22:19,20 )。しかし、映画の中では、単にこれは「私の体であり、私の血だ」と言及しているだけだ。十字架が償いの意味を持つ苦しみではなく、革命の代価として支払わなければならない避けられない犠牲であるかのように描き出しているのだ。


イエスの役での映画の主人公の姿が南米の革命家チェ·ゲバラの姿によく似ている。


2. マグダラのマリアがイエスのパートナー(配偶者)であった​​

映画を見ている間、終始不快だった第二の理由は、映画の中に登場するマグダラのマリアの姿にある。聖書の中で、明らかにイエスと12弟子たちだけが登場する場面にも、とんでもなくマグダラのマリアが登場しており、イエスが復活した姿を初めて目撃した人も、マグダラのマリア一人であると描いている。映画の最後に、イエスが昇天される場面でも、12弟子と共に唯一マグダラのマリアが登場している(聖書には、500人の弟子たちがイエスの昇天する姿を見たと記録されている。Iコリント15:6

聖書について知らない人であれば、マグダラのマリアがまるで公生涯の期間、イエス様といつも一緒にいたパートナー(配偶者)であるかのように感じさせている。

イルミナティは、すでにダ·ヴィンチ·コードと呼ばれる小説や映画を通じて、マグダラのマリアが隠さ聖杯、つまり、イエスの妻だったという雲をつかむような話を大衆に浸透させている。最近更新され改訂されたロイド·ウェバーのミュージカル「ジーザス·クライスト·スーパースター」でも、やはりマグダラのマリアを、イエス様と愛を分かち合うパートナー(恋人)のように描写している。その上、昨日( 411日)は、映画の封切り日に合わせて「イエス様が「妻」と言及したというパピルスの部分が本物であることが確認された」という記事も出ている。

映画ダヴィンチ·コードではまた、秘密結社団体である「フリーメーソン」が、長年の間、マグダラのマリアとイエスの間に生まれた、イエスの子孫を守ってきたという。イエスが結婚して子孫を残し、その子孫の中から世界を救うメシヤ(反キリスト)が到来するというイルミナティのメシヤ(ホルス、反キリスト)の思想を、映画や小説で大衆に浸透させている。

ミュージカル ジーザス·クライスト·スーパースターに登場するとんでもないピラミッドとプロビデンスの目が、ミュージカルでもイエスを既存の秩序を脅かす革命家として描写している。

映画の中のほぼ全ての場面に登場するマグダラのマリアは、まるでイエス様の配偶者であるかのように描写されている。




3. 天の女王マリア

製作者のローマ·ダウニー(大学でニューエイジに関する勉強をし、番組で霊媒を介して接神体験する姿まで見せた公なニューエイジャーである)が直接演じた、映画の中のイエスの母マリアの姿は、以前に製作されたイエス様の他の映画とは異なり、神を象徴する青い色の服を着ている。

映画の中では、このように青い服を着たマリアをイエスが見上げるシーンと、あの有名なピエタ像を連想させる十字架につけられ死なれたイエスを胸に抱いて嗚咽するマリアの姿が登場する。

マリアを聖母として、イエスと同じ仲介者として、あるいはセミラミス(イシス)に代わる女神として崇拝するローマカトリックとイルミナティの信仰(女神崇拝)を表わしたものである。

公なニューエイジャーでもあるローマ·ダウニーが、この映画の製作者としてマリアの役割を担った。ローマ·ダウニーが、この時代の代表的な偽教師ジョエル·オースティンと撮った記念写真である。




神を象徴する青い光の服を着たマリアが、父、御子、聖霊の神と共に天の女王として描写しながら聖化し、映画の中のマリアも神を象徴する青い服を着ている。
聖者の神を抱いて下さった母の姿で、マリアの神性を表現したピエタ像の姿が、映画の中で再現されている。

「子どもたちはたきぎを集め、父たちは火をたき、女たちは麦粉をこねて、『天の女王』のための供えのパン菓子を作り、わたしの怒りを引き起こすために、ほかの神々に注ぎのぶどう酒を注いでいる」 (エレミヤ7:18 )。




4. 無謀な革命家イエスを説得しようとし失敗したイスカリオテのユダ

映画の中では、貪欲で銀貨三十枚でイエスを売り渡したイスカリオテのユダは登場しない。宗教指導者たちが自分を殺そうとしている事実を知りながら、無謀に過越祭にエルサレムを訪ねて行って、意味のない混乱を起こそうとする革命家イエスを阻止するため、最後まで必死だが、最終的には大祭司カヤパに利用されて、イエスを売り渡すことになる残念な人物として描かれている。映画の中でイエスは、混乱をも拒まない衝動的な人物で、イスカリオテのユダは、これを収拾するために努力する理性的な人物として描かれている。

映画の中でイエスは、過越の晩餐会でカヤパにイエスを引き渡すことを躊躇しているイスカリオテのユダに、大きな革命のために自分が引き受けたこと(イエスを引き渡すこと)を実行しなければならないと強要するかのように描かれている。 「革命家の英雄的な死を通じて、より大きな革命をもたらす」という戦略を完成するために、イスカリオテのユダが、自分が意図し(したく)なかったが、犠牲にされたかのように映画は描き出している。


映画の中では、イスカリオテのユダが、仕方のない状況とイエスの強要で、イエスをカヤパに引き渡し、革命のための別の犠牲者(ヒーロー)のように描かれている。

5.  Healing Touch

映画の中で目立つもう一つの場面は、イエスが病人を癒す奇跡を施される瞬間に、言葉ではなく、 「接触」を通じて奇跡が現れたということである。ペテロの網にたくさんの魚が取れた奇跡も、映画の中では、イエスが手で水に触れた瞬間、魚が集まることが描写されていて、ラザロを生かしたときも、言葉ではなく、彼の体に手をのせた瞬間に死んだラザロが目を開いたと描写している。

また、イエスが手で人々に触れる度に、人々の心の中に大きな変化が起きて、新しい経験をすると描き出している。イエスを、言葉で世界を変える方ではなく、ニューエイジャーのように、神秘的な能力を持つ手( Healing Touch )で奇跡を起こして霊的伝播によって人々を変化させると描写している。


映画の中では、言葉の力で病人死者を生かすイエスではなく、神秘的な能力を持った手で人々を治療し、霊的な変化を引き起こすことが描写されている。


6. 新世界(New World)を樹立させるために再来する


630秒から、プロビデンスの目が登場する場面と後半のイエスとペテロの会話とナレーションを注意深く聞いてみよう。





" What are we gonna do Change the World. He will bring you New Age of righteousness and justice. His Power bring all men to New World. "

ピーター:どうしましょう?イエス:世界を変えるんだ。ナレーション:彼は、正しい公平な新しい時代(ニューエイジ)をもたらします。彼の力が、万人を新しい世界( New World Order )へと導いてくれます」


映画の最後は、前述のように、パトモス島に閉じ込められた使徒ヨハネに告げた、「新しい世界を作るために戻って来る」という言葉で終わっている。再臨のイエスは、世界を裁く審判の主ではなく、この地に平和な新しい世界( New World Order )を設立するために到来するイルミナティのメシヤ(反キリスト)のように描かれている。映画の予告編や映画のエンディングで、イエスの片方の目をクローズアップさせて「プロビデンスの目(ホルス) 」を示す理由がここにある。

映画「サン·オブ·ゴッド」に描写されたイエスは、聖書が証言しているイエスではなく、この地にNew World Orderを実現するために訪れるイルミナティのメシヤ「別のイエス」なのだ。

プロビデンスの目を強調する予告編(アメリカ版)と、映画の中のエンディングシーンは、この映画が描いているキリストが、まさにNew World Orderを実現するためのイルミナティのメシヤ(ホルス、反キリスト)であるという事実を明らかに示している。

異端とは「終わりが異なる」という意味である。殺鼠剤は、殺鼠剤だけよりも、99%の良い食べ物と混ざっているときに、さらに致命的な結果をもたらす。なぜCFRメンバーであるリック·ウォレンと偽預言者ジョエル·オースティンがこの映画を積極的に推奨しているか、その理由を知るべきである。



イルミナティが掌握したハリウッドから、どんな善なるものが出て来くることがあるだろうか?

1 件のコメント:

  1. 今年日本でも封切り映画になるのかな~?8~90パーセントの真実に、残りは不誠実な嘘には気を付けないとね。この手口は、サタンがアダムエバをだまし誘惑した手法です。

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