The
Advocate magazineは、今のところ、法王は同性愛結婚には反対しているが、同性愛を公然と反対していた二人の前教皇とは異なり、
「 (同性愛を擁護する)破格的な発言」をした事実を選定の理由に挙げている。
この雑誌は、去る7月、教会の中にある同性愛者の考えを問うたリポーターの質問に、法王が「同性愛者が神を求める善良な意志を持っている場合、どんな(それについての)判断を下すことができますか?」
と返答した事実を称賛している。
The
Advocateは、これまでのところ、歴代の教皇たちがした発言の中で「同性愛者に最も勇気を与える発言」と指摘している。
*同性愛について聖書は、明らかに神の裁きを受ける罪だと宣言している。
レビ記18章22節では「 あなたは女と寝るように、男と寝てはならない。これは忌みきらうべきことである。
」と書かれているし、レビ記20章13節では「 男がもし、女と寝るように男と寝るなら、ふたりは忌みきらうべきことをしたのである。彼らは必ず殺されなければならない。その血の責任は彼らにある」とある。
たまに同性愛を擁護するクリスチャンたち(
? )の中で、同性愛を罪に定めることは、旧約時代の律法主義の産物だから、廃棄しなければならないという主張を繰り広げる人々もいる。しかし、同性愛の話題だけは、旧約聖書だけでなく、新約聖書にも、これが神の裁きを受ける罪であるという事実を明らかにしている。
ローマ1章27節では、「 同じように、男も、女の自然な用を捨てて男どうしで情欲に燃え、男が男と恥ずべきことを行なうようになり、こうしてその誤りに対する当然の報いを自分の身に受けているのです」とし、コリント第一の手紙6章9節では、「男娼となる者(ゲイ) 」を男色する者、姦淫をする者と並んで、神の怒りと審判が避けられない罪人であると明示している。
我々は、終末の時を予示しているロトの時代の背景となる、ソドムの町が「同性愛」という罪のために、神の厳密な(火)審判が下されたことを想起する必要がある。
カトリックでは、一般的に教皇を「真理の守護者」と表現している。
「真理の守護者」とは、神の言葉と聖書の教訓を、命をかけて守るべき責任を引き受けた者という意味だ。ところが「真理の守護者」を自任する教皇が今、むしろ「同性愛は罪」と明示された聖書の御言葉を正面から否定し、反対する働きをしているのだ。
テサロニケ第二2章3節では、反キリストを「不法の人」、つまり神の律法を無視して敵対する者と紹介している。フランシスコ教皇がたとえ光の御使いの姿で大衆を魅了していても、彼がしていることは、神の律法を崩して敵対する「反キリスト的なもの」であることを知るべきである。
同性愛雑誌が選定した「今年の人物」に選ばれたフランシスコ教皇が、去る17日、自身の77回目の誕生日にホームレスを招待して一緒に祝った。光の御使いの姿を持ち、神の律法(聖書)に敵対し、それを破壊している彼の歩みが、聖書に記述された「不法の人」を連想させている。http://japanese412.blogspot.com/2013/12/blog-post_24.html |
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