"マレーシアの聖書と文学書では、‘神( God )’ という言葉を‘アッラー’という言葉で表記するのは‘論理的であり、容認できることだ’"とバチカンのマレーシアに派遣された大司教Joseph Marinoがそう言った。
マレーシアで"アッラー"という言葉についての議論は、最高裁判所がイスラム信者ではない人々にもマレーシア語文学作品で神(
God )を意味する箇所に"アラー"という言葉を使っても良いと判決を下した3年前から始まった。
この議論は、マレーシアのカトリック教会が政府を相手にこの言葉(マレー語聖書で"神"を "アッラー"という用語)を使用できることを許諾してほしいと訴訟を起こすことから生じた。
当時、 "アッラー"という言葉はイスラム教徒が使用できる固有単語であると主張していたイスラム教徒たちに、このような裁判所の決定によって大きな反発を起こしたことがある。
このような状況の中で、 6ヶ月前にマレーシアに赴任したJoseph Marinoの先進的な言及が再びイスラム教徒の反発を買うことになった。
マレーシアでは、 2800万人の人口のうち、60%がイスラム教徒であり、約250万人がクリスチャンであると知られている。
*カトリック教会がマレーシア語の聖書の"神( God )"という言葉の代わりに"アラー"という言葉を使用すると主張し、イスラム教徒はかえってこのような主張に反発をしているという奇妙な事態がマレーシアで起こっている。
いわゆるChrislamといって、キリスト教とイスラム教を統合して一つに作成するというローマのバチカンの宗教の統合作業は、 "アッラーが神様だ"という奇妙な主張にまで展開するようになった。
しかし、三位一体の教義を認めないというイスラムの神の観念(アッラー)を受け入れるためには、子であり神様であるイエス様の神性を否定しなければならない。しかし、ヨハネの手紙第一2章22節では、 " イエスがキリストであることを否定する者でなくてだれでしょう。御父と御子を否認する者
、それが‘反キリスト’です"と明らかに宣言している。
聖者神であるイエス·キリストを否定して、イスラム教と一つなろうとするローマのバチカンがまさに"反キリストの勢力"である。
ヨハネ·パウロ2世がコーランにキスをしている。 |
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