2013年9月25日

"教皇はカトリック信者なのか?"



NEW YORK - "教皇はカトリック信者なのか"という質問は、カトリックの信仰を持つ人々なら、冗談でする以外は決してない質問である。

しかし、最近のカトリックの伝統から大きく外れ教皇の相次ぐ発表や決断のために、多くのカトリック信者がフランシスコ教皇の在任期間中にカトリック教会が生き残れるかどうか心配している。


最近"カトリック信者ではない無神論者も救われることができる"という教皇の言及と、"バチカンが独身としての聖職について考え直す必要がある"は、法王の提案、すなわち、司祭や修道女たちと結婚できる許可を出す提案があるということが連日メディアの注目を集めている。

これにより、カトリック信者の間では"フランシスコ教皇の治世中にカトリック教会が生き残ることができるだろうか?"という疑問を抱く人々が生まれている。



*先週(915日)ローマ教皇の破格的な歩みを紹介した上の記事が出た後も、フランシスコ法王は19日、イエズス会の新聞 "La Civiltà Cattolica"の取材で"教会は人々の実質的な生活条件を理解しなければならない"としながら同性愛者、離婚した人、中絶女性に慈悲を施すことを促す言及をした。これは、近いうちにカトリック教会が同性愛と妊娠中絶を許容することができるという信号を送ったと解釈することができる。

そして22日にはイタリアのサルデーニャ島のカリャリを訪ねて"神が望むのは(経済の)中心であるお金ではなく、人である"という言及をすることで資本主義経済体制を批判して共産主義経済体制を支持するような発言をして再び波紋を起こしている。

このすべての発言と決断は、今まで見てきたカトリック教会の中心であった価値観を正面から否定するものであり、カトリック教会を守ろうとする保守派の間では、"法王はカトリック信者なのですか?"という自嘲的な質問が出てきているのである。

妊娠中絶反対、聖職者の結婚禁止、同性愛反対、女司祭反対、信じなければ救われないというカトリック教会の中心的な価値観を正面から否定しているフランシスコ教皇の歩みを見て"法王もカトリック信者ですか?"という自嘲的な質問この出てきている。

就任当時からマラキが予言した "カトリック教会を台無しにし、苦難につながる最後の教皇"という噂が出回ったイエズス会出身のフランシスコ教皇が、実際にカトリック教会を破滅へと導くため、本格的な歩みを始めたのではないか疑わしい。

http://japanese412.blogspot.com/2013/09/blog-post_25.html

3 件のコメント:

  1. とても良いことでは無いでしょうか?

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  2. 妊娠中絶反対、聖職者の結婚禁止、同性愛反対、女司祭反対、信じなければ救われないというカトリック教会の中心的な価値観を正面から否定しているフランシスコ教皇の歩みを見て"法王もカトリック信者ですか?"という自嘲的な質問この出てきている。


    ★★★★★★★★★★

    教皇だけではなく、わたしも同じ意見です。
    神様は、いろんな人々を自由になさりたいのです。

    イエス様の来られた理由を、一度きちんと聖書をお読みになって吟味してください。

    わたしたちの前にイエス様が来られた理由とは、聖書を守ることではなく、互いに愛し合うことです。

    同性愛がなんですか、離婚がなんですか、タバコを吸ってお酒を飲んでも、神様の切なる想いを分かろうとする人たちの方が、神様にとって可愛いに決まっています。

    聖職者が恋をしても、結婚しても、結局はお互いを理解して兄弟を愛して、神様の教えを受けたものたちが、それぞれの想いで伝道出来るなら、それで良いじゃありませんか?

    一体何を悩んでいるのでしょうか?
    掟でしょうか?

    ならば、どんな掟でしょう。

    教皇の掟ですか。教皇は人間です。神様ではありません!
    昔の人の言い伝えでしょうか?聖書でしょうか。

    聖書では、イエス様がこう説教されています。

    聖書をお持ちの方は、お開きください。

    マルコによる福音書7:6又は、マタイによる福音書15:1です。
    わたしは、マルコを記載いたします

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  3. マルコによる福音書7:6〜

    6イエスは言われた。「イザヤは、あなたたちのような偽善者の事を見事に預言したものだ。彼はこう書いている。

    『この民は口先ではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。7人間の戒めを教えとしておしえ、むなしくわたしをあがめている。』
    8あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている」
    9更に、イエスは言われた。「あなたたちは自分の言い伝えを大事にして、よくも神の掟をないがしろにしたものである。10モーセは、『父と母を敬え』と言い、『父または母をののしるものは死刑に処せられるべきである』とも言っている。11それなのに、あなたたちは言っている。『もし、誰かが父または母に対して、「あなたに差し上げるべきものは、何でもコルバン、つまり神への供え物です」と言えば、12その人はもはや父または母に対して何もしないで済むのだ』と。13こうして、あなたたちは、受け継いだ言い伝えで神の言葉を無にしている。また、これと同じようなことをたくさん行っている。」

    ★★★★★★★★★★

    カトリックは、そもそも聖書を読んでいなかった。
    聖伝ばっかり読んでいて、聖書をないがしろにしています。
    わたしから見ていて、聖書を読んでいなかったものが、最近ようやく読みようになりました。
    それは、今ここであなた方が疑問を投げかけている教皇フランシスコこそ、最近表明されたのが、聖書を読みましょう!と言うことでしたよ。

    カトリック新聞を読んで見てください。教皇フランシスコは、「福音書をポケットに」と呼びかけているではないですか?彼くらい、毎週新聞に載る教皇はいませんでしたよ。彼こそ、神様のお気持ちを優先しているカトリックの兄弟ですよ。

    同性愛がなんですか、神様は互いに愛し合うようにいわれました。
    司祭だって、恋くらいするでしょうに。

    イエス様は、わたしたちを、雁字搦めな掟から解放するために来られたのです。
    人々を、苦しまれるために来たのではありません。

    イザヤ書にもイエス様の来られた理由が書かれておりますが、聖書をお持ちの方は、お開きください。

    イザヤ書なら、イザヤ61章ですが、ルカなら4:18です。

    主がわたしを遣わされたのは、
    捕らえられている人に解放を、
    目の見えない人に視力の回復を告げ、
    迫害されている人を自由にし、
    19主の恵みの年を告げるためである。

    これは、貧しい人の福音です。

    この意味が分からなければ、あなた方は教皇フランシスコを危険人物にすることはできません。



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