2014年7月15日

ローマ法王が来られる道を備えよう


フランシスコ教皇の訪韓を控えて製作された記念曲「コイノニア」の広報映像が7日公開された。  
コイノニアは、「友情」を意味するギリシャ語で、ノ·ヨンシムが作曲、CF監督であるチャ·ウンテク氏が演出を引き受け、映画「光海」を製作したリアライズピクチャーズのウォン·ドンヨン代表が製作を担当した。ミュージックビデオには、俳優キム·ヒエ、キム·テヒ、キム·ウビン、歌手ユン·ゴン、ショートトラック選手パク·スンヒ、アナウンサーのファン·ジョンミンなど30人余りが参加した。出演交渉は、アン·ソンギ氏が総括した。


<中略>

この日、カトリック法王訪韓準備委員会が、ソウル明洞聖堂で行ったコイノニア公開記者会見で、アン·ソンギ氏は、「遠くではなく、私たちのそばにいるような法王の人間的な行いが心に届いた」とし、「一ヶ所に集まることが容易ではない文化·芸術·スポーツ分野からの人々が、明洞聖堂の聖母の園でほほえましく歌と撮影を終えた」と述べた。ノ·ヨンシム氏は、「私たちが、心を一つにして、法王が来られる道を照らせば、最も美しい花束になるのではないかという気持ちを込めて歌詞を書いた」とし、「タイトルであり、歌詞でもあるコイノニアを、呪文のように声に出して何度も言えば現実になるだろうという希望を持って、歌詞に挿入した」と説明した。

記事原文>>「法王訪韓記念MV、天も手伝ってくれた」(韓国日報)(韓国語)




* カトリック教会で行われている人間崇拝つまり、マリアと聖人と教皇崇拝に対する批判の文を投稿する度に、カトリック信者から、これは崇拝ではなく、尊敬だという答えを聞くことになる。おそらく、大聖堂の中で、そのように教育を受けていると見られる。本質的には、崇拝のか尊敬なのかという言葉の問題ではなく、その内容が何なのかが問題になるだろう。

言葉では、崇拝ではなく偉大な信仰の業績を残した人への尊敬だというが、実際には、彼らを信仰の対象、あるいは、礼拝の対象としていることが問題なのだ。

カトリック教会の首長であり、「神の代理人」という公式の肩書を持つフランシスコ法王の来月(8月14日)の韓国訪問を前に、カトリック信者である芸能人が中心となって、法王の訪問を歓迎するミュージックビデオが作られた。

「 一ヶ所に集まることが容易ではない文化·芸術·スポーツ分野からの人々が、明洞聖堂の聖母の園でほほえましく歌の撮影を終えた」という撮影後記と共に、撮影当日、雨が土砂降りに降っていて、「撮影をあきらめなければならないかと心配したが、撮影が始まった午後7時から、嘘のように雨がやんで、午前2時に撮影を無事に終え、そうすると、また雨が降ってきた」と、神秘的な逸話(?)まで紹介している。

法王を歓迎する歌「コイノニア」を作詞作曲したノ·ヨンシム氏は、「私たちが、心を一つにして、教皇が来られる道を照らせば、最も美しい花束になるのではないかという気持ちを込めて歌詞を作る中、タイトルであり歌詞である「コイノニア」を、「呪文」のように声に出して何度も言えば現実になるという希望を持って歌詞に挿入した」という言葉で、歌を作った意図を説明した。

「法王が来られる道を照らす」ために作った歌というノ·ヨンシム氏の説明には、イエスが来られる道を備えた「洗礼者ヨハネ」の悲壮感(?)が感じられる。

罪深い人間を償うために来られた神の御子イエス様のように描写し、彼の到来を歓迎し、感謝する歌を作って称賛するこの行為は、まさに「偶像崇拝」である。ローマカトリックは、正しくいえば、人を偶像化して崇拝する宗教である。

「 『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば」(マタイ24:15)、その日が近いと思いなさいと言われた。

地獄を連想させる奇妙な模様で作られた法王の玉座と、任命を受けるため、法王の前にひれ伏して礼拝する司祭の姿

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