十戒の第一戒律と第二戒律は、 "偶像崇拝"を禁じられた言葉であり、イスラエルの民が神の懲らしめと裁きを受ける時、最初に指摘された罪も"偶像崇拝"であった。神の前では、殺人、強盗、詐欺、姦淫を行う者よりも偶像崇拝する者の方が、より大きな罪人であることを知らなければならない。
"代わりの神"という意味の偶像は、石、木、貴金属等で造られた形状だけでなく、私たちが神よりも頼りにしている最愛の対象であればすべてが偶像になることができる。神よりも多くのお金を頼りにして愛しているのなら、お金はすでにアイドルになる。そういう意味では、私が頼りにして愛する"人"もアイドルになることができるのだ。
神が信仰の先祖アブラハムにイサクを捧げるテストを与えたのは、アブラハムが100歳のときに得たこの子が、神よりも愛するアイドルになっていたことをご存じだったからである。出エジプトの英雄モーセがカナンの地に入れなかったのも表面的な理由は、
"メリバの水でモーセが犯した罪"のためだったが、もう少し深く計算してみると、40年間イスラエルを導いたモーセが、イスラエルの民にとって神よりも頼れるアイドルになっていたことを神は知っていたので下した措置であることが分かる。
"モーセが死んでこそヨシュア(イエス)が生きることができる"のである。
10年余りを引きいてきたチョ·ヨンギ牧師の不正問題が、WCC釜山総会が終わる時点に合わせて再びメディアの注目を集めている。
" 汝矣島純福音教会の教会立て直し長老の祈りの会 " (代表キム·デジン、ギム•ソクギュンなど)が昨日( 14日) 、ソウル鍾路区のキリスト教会館でチョ·ヨンギ牧師の金融関連疑惑と不倫の証拠を提示し、辞退を求める記者会見を開催した。
記者会見が行われる過程でチョ·ヨンギ牧師を支持する信者たちが乱入して会見を妨害し、衝突する姿がカットなしでそのまま放映された。闇の中で能力を失った教会がかえって、不正を犯した牧師を包み込むような恥ずかしいことが再び繰り返されたのだ。
韓国教会の中で牧師の不正と罪を指摘し、正すことがとても困難なプロセスと考慮される。特に教会の中で強大な権限を行使している大規模な教会の牧師である場合には、これがほぼ不可能に近い。牧師は、"仕える者(ボランティア) "ではなく、 "神の代理人"と考えている独特の(巫俗信仰から始まった)韓国教会の風土が生み出した結果である。
しかし、あなたは目に見えない神よりも目の前にいる牧師をより愛し、神から与えられた言葉よりも牧会者の偽りの詭弁をもっと信じたいと思う場合には、すでにあなたは神ではなく、 "牧師という偶像"に仕えているのだ。この"牧師という偶像"が崩れなければ、韓国の教会は生きることができない。
モーセが(牧師への誤った信念が)死んでこそヨシュア(イエスへの
正しい信仰で)が生きることができるのだ。
http://japanese412.blogspot.com/2013/11/blog-post_18.html
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